(2)小平市を旧石器時代研究の拠点にしよう
まとめ
令和5年6月9日に行った3件の一般質問のうちの2件目です。
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質問 | 答弁概要(クリックで詳細) |
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① 東京都指定史跡と国の史跡の違いは? | 都の歴史上か、国の歴史上かの違い。 |
② 国史跡のうち旧石器時代へ分類は鈴木遺跡のみ? | 鈴木遺跡のみ。 |
③ パブコメの提案どおり、小平市を旧石器時代研究の拠点としては? | 考えはない。今後潜在的価値を掘り起こす調査研究を進める。 |
発掘50周年イベントをやらないの? | やらない。周年にとらわれると調査研究等の過程でどこまで発表できるかの関連も。今後、調査分析が進む中で目立つ発表できるものがあれば。 |
④ 日本考古学協会や日本旧石器学会と定常的に連携しては? | 考えていない。新発見があれば、状況に応じてどんな連携が可能か研究する。 |
⑤ 鈴木遺跡等の研究者に研究奨励費を出しては? | 出す考えはない。資料の閲覧や石器観察依頼があったら対応し研究活動を支援する。 |
⑥ パブコメの参考意見は今後どう計画実施に取り入れる? | 活用推進に当たり参考とする。 |
通告書
主な質疑
正確な質疑内容は会議録をご参照ください。なお実際は理事者側の答弁すべてが敬語表現でなされています。ここでは簡略化のため敬語表現を省いています。また、分かりやすくするために、ここではすべて一問一答に見えるよう順番を並べ替えています。実際は、初回質疑は一括質問・一括答弁方式です。
質問する理由
パブコメ把握漏れの中に貴重なご提案が
令和4年8月26日から約1か月間行われた国史跡鈴木遺跡保存活用計画に対するパブリックコメントに関して、市ホームページのパブリックコメント機能で寄せられた御意見、御提案の把握漏れがあった(市民意見公募手続における意見の把握漏れについて(Web Archive) )。
すでに計画は確定し、把握漏れのご意見やご提案は、検討委員会(小平市国史跡鈴木遺跡保存活用計画検討委員会 )にかけられないまま、すべてが「今後の参考意見」という扱いにされた。
このままでは、いただいた貴重なご意見、ご提案が一切深掘りされないまま、計画が進んでいく。
そこで、今回は、把握漏れのパブリックコメントの中から「小平が旧石器研究の拠点となり得るよう、書籍の収集やシンポジウムや学会の誘致をしては」というご提案に注目する。
このご提案は、大きな費用をかけることなく、これまでにない新しい視点でまちの魅力を向上させる取組だ。活用計画のひとつの柱にできるものと考えるため質問する。
① 東京都指定史跡と国の史跡の違いは?
東京都指定史跡と国の史跡の違いは主にどこにあるか。
史跡とは、文化財保護法によって指定される記念物のうち、我が国の歴史の正しい理解に欠かすことができず、また、その遺跡の規模、遺構、出土遺物等において学術上価値があるもの。
東京都の指定は東京都の歴史上、国の指定は日本の歴史上重要な遺跡という扱い。
② 国史跡のうち旧石器時代へ分類は鈴木遺跡のみ?
東京都にある国の史跡のうち、時代が旧石器時代に分類されているものは鈴木遺跡だけという認識でよいか。
現在、東京都内の国史跡は53件で、旧石器時代に分類されているものは鈴木遺跡のみ。
③ パブコメの提案どおり、小平市を旧石器時代研究の拠点としては?
石神井川最上流部に向かって収れんする扇の要の位置を占める鈴木遺跡は、旧石器時代の拠点的居住地であったと考えられている。
規模は都内最大級で遺物の出土数は12万点以上あり、12枚の文化層の存在など、日本の旧石器時代の編年上、欠くことのできないものとされている。
地理的な側面だけではなく、旧石器時代の研究上も要となる遺跡だ。
このような背景から、パブリックコメント(パブコメ)のご提案を実施してはどうか。
つまり、研究に資する書籍や市民の理解や興味が深まる関連の書籍を収集して一般公開したり、旧石器時代研究のシンポジウムや学会を誘致したりするなど、小平市が旧石器時代研究の拠点となることを目指してはどうか。
現時点で旧石器時代研究の拠点とする考えはないが、今後、国史跡鈴木遺跡保存活用計画に示した保存、調査研究、活用、整備を進めていく中で、鈴木遺跡の周知を推進するとともに、鈴木遺跡の潜在的価値を掘り起こすための調査研究を進めていく。
なんと来年は発掘50周年だった
小平市は平成26年に発掘40周年記念イベントをやっている。そこでシンポジウムを行ったところ260人も来場された。専門家の方も、それから一般市民の方もたくさん来られたと。
大きなことに気付いたが、来年は発掘50周年だ。しかし検索しても情報がまったく出ない。これまで議会などで50周年ということの報告があったりしたか。
来年、イベントをやればよいと思う。
市の学芸員に教えてもらったが、吉野ヶ里遺跡で弥生時代の後期にあった邪馬台国の時代の、有力者の墓ではというものが見つかった。
この6月5日にその石蓋が開けられ、1週間ほど調査し、そろそろ報告が出るという話。大きい蓋が重さ100キログラムもあり、相当な有力者だったのではと言われている。
発掘50周年イベントをやらないの?
また、長野県の佐久市の遺跡でも旧石器時代の最古級の約3万7000年前の石刃、石棒が見つかって大注目されている。
- 【毎日小学生新聞・令和5年10月19日】国内最古の「石刃」発見 3万6900年前の鋭い石器、長野の遺跡で
- 【徒然コオロギ庵 旅する似顔絵師 ・令和5年12月14日】トリデロック遺跡発掘調査報告会【長野37000年の旅】
それに便乗してというとあれだが、発掘50周年の何かイベントで盛り上げていけばよいと考える。どうか。
これまでも鈴木遺跡に関しては、発掘があり、その後の調査がありということで、相当時間をかけて国史跡に指定してきた。
国史跡に認められるまで7年にわたり調査し、価値を再確認してきた。
あまり周年ということにとらわれると、調査研究等の過程の中で、どこのことまで発表できるかということの関連もある。
今後また発掘調査やさらなる調査分析を進めていく中で、目立つような、発表できるようなものが出てくれば、そのタイミングで学会等とも連携した中で、いかなる発表ができるか、事業ができるかについて、今後も研究していく。
何か発見があってからイベントをやるというと、ほとんどできないことになる。
発掘50周年のときにも、発掘40周年のときにやったような話をやってもよいと思う。もう10年間も経っているから。
まだ予算立てできると思うので、ぜひ50周年に向けて何か考えてもらいたい。
なぜ貴重な黒曜石を置いていったのか
学芸員の方、いろいろ教えてくださり、話を聞いているだけでおもしろい。
たとえば、黒曜石は貴重なのに、なぜ移動の際に置いていったのか。遺跡として残っているということは、移動した際、黒曜石を置きっ放しにしたということ。
素人としては、大変な思いで持ってきたのか交易で入手したのか分からないが、そういった貴重なものを、なぜそんなところに置いていったのかなと思う。
大々的でなくとも想像で楽しめる
また、酸性土壌に骨や木は溶けてしまうが、溶けないものは何があるのかとか。天然の金属や石の種類によっては溶けるものがあるのではないかとか、いろいろ考えると不思議なことだらけ。
別に新しい発見がなくても、そういったみんなが知らないようなこと。
学芸員の方に聞いたら、黒曜石は割ったものの中で使い勝手のよいものだけを運んだのではないかと。また、原石の塊のまま運んで、使う場所で割って使ったのではないかという話もある。そういった話は子どもたちもすごく楽しいと思う。そんなことだけでもよいと思う。
50周年でもそんな大々的にやる必要もないので、そういったことをしてもらえないかと思う。
④ 日本考古学協会や日本旧石器学会と定常的に連携しては?
日本考古学協会や日本旧石器学会と協議をし、市として活動場所の提供や活動の資金援助をするなど、定常的に連携する道を探ってはどうか。
日常的な連携については考えていないが、新たな発掘調査で考古学の研究上の新発見などがあった場合には、今後の鈴木遺跡の調査研究の状況に応じて、どのような連携が可能か研究していく。
⑤ 鈴木遺跡等の研究者に研究奨励費を出しては?
鈴木遺跡を始め、市内の遺跡に関連する研究を進める学生や研究者に研究奨励費を出してはどうか。
現時点で研究奨励費を出す考えはないが、研究者や学生が鈴木遺跡を研究対象にする際、発掘調査で出土した石器資料の閲覧、観察依頼があった場合はその都度対応し研究活動を支援していく。
⑥ パブコメの参考意見は今後どう計画実施に取り入れる?
今回の国史跡鈴木遺跡保存活用計画に対するパブリックコメントに寄せられ、参考意見の扱いとなったご意見やご提案は、今後具体的にどのようなプロセスで計画実施に向けて参考として取り入れられていくか。
主に本計画の基本方針のひとつである活用に関するご意見、ご提案であることから、今後、鈴木遺跡の活用を推進するに当たり、参考とさせていただく。
以上